1790年に純祖は人天大福田扁額と銀香炉、双龍門袈裟、金屛風、窯等を仙巖寺に下賜した。純祖22年(1798年)には僧中文音で有名な海鵬展翎が七殿を重創した。
純祖23年(1823年)3月30日 実話で本堂を含めた色々な堂の建物が火に燃えてしまったら翌年から海鵬・訥庵・益宗等が第6重創仏事を行い現在の伽藍の規模を備えた。
そして、山の名前とお寺の名前を又複稱するに至る。朝鮮時代末期には湖南を代表する涵溟太先-景鵬益運-擎雲元奇-錦峯基林等の4大名講伯を排出した。
1919年本末寺法によって、全国のお寺を30本山に指定したとき仙巖寺は全南の4本山の中で指定され順天、麗水、光州地域のお寺を管掌した。
現在の仙巖寺は太古宗の唯一の叢林である太古叢林として講院や禪院で多くの和尚さんたちが修行を行う総合修行道場である。
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